「参加する仏教(2)」オウム真理教と東本願寺の共通点

真宗僧侶 山田蓮孝


 オウム真理教事件が発生して、教祖逮捕時まで、マスコミは連日このニュースで持ち切りであった。テレビをつければオウム、新聞も週刊誌もオウム、オウムと、毎日オウムの大合唱であった。
 中学生いじめ事件という「カナリヤ」や、阪神大震災という「インコ」を視聴率稼ぎの「幸福の青い鳥」として追いかけていた各マスコミは、「カナリヤ」や「インコ」を鳴けない鳥として世間の前から消してしまったのであった。何とまあ変わり身が早いことか。
 閑話休題、オウム事件は私にとって他事なのだろうか。否、決してそうではなく、私自身が所属している真宗大谷派(以下、東本願寺と記す)教団の実態を、別の角度から明らかにしてくれたのである。それはオウム真理教々団と東本願寺教団が、実は同じ穴のムジナであることを見せつけてくれたのだ。その見せつけられた三つの事実を記すことにする。
 一つ目は、教祖麻原氏が入った風呂の湯を信者が有難がって飲むこと。これは戦前まで東本願寺の「生き仏」であった法主が入った風呂の湯を門徒が、「ごもったいなや、ごもったいなや。」と言って飲み干していたことと同じである。強いて異なる点を述べれば、麻原氏は血統に無関係に「生き仏」に成ったが、法主は形式上、親鸞の血をひいて(それだけの理由で)「生き仏」に成っていた点があげられる。
 二つ目は、麻原氏の説教を声紋調査機にかけると、節がついていることが認められること。これはテレビに出演した声紋の専門家に言わせると、人々を洗脳する話し方である、ということだ。何の事はない、戦前まで東本願寺の坊主がしていた節談説教(講談の原形となった演芸説教)と同じではないか。かつて大須には、梅本という説教所があり、そこに出演する説教師は、お客を二人ぐらい泣かせ倒さないと出演料がもらえなかったそうである。
 三つ目は、麻原氏に「お布施」と称する上納金を出すと、信者の位が上がるということ。これも、京都の本山への多額の上納金を出すと寺の格が上がり、より派手な法衣と袈裟が着用できる東本願寺の仕来たりと何ら変わらぬものだ。
 以上の三点より、麻原氏は、宗祖親鸞を裏切って巨大化した東本願寺の反仏教的俗習と仕来たりを、実にうまく真似して、金と名誉と権力を手に入れた、と考察することは出来ないだろうか……。
 では、山田、お前はどうなのか、と問われると、ウーン、私も危ない者である。
あわてて合掌
   (今回完)


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