教区聖書講座
炊き出しボランティア実習
炊き出し活動実習のレポート

東山教会  林 久恵 (2014年9月25日)
 実習から約2ヶ月が過ぎましたので、今心に残っている事を書きます。実習を受ける前に講習を受けましたが、この講習によってホームレの人達への認識が変わりました変わりました。

 それまではホームレス状態になるのは個人の責任が主な原因だと思っていました。しかしそうでは無い事が理解出来ました。

 人間の自己本位な傾きが原因によって社会的経済的に強くなった人々から搾取される弱者が生まれてきた。その構図は修正されることなく強大化してきた。

 ホームレス状態もその表れから来ている、と理解しました。

又自分自身弱い立場にあるにもかかわらず自覚していなく無意識のうちに搾取する立場にたっていると気付きました。

 聖書は弱い立場にある人々を大切にするように教えています。

 炊き出し活動が大切な事がよく理解されました。

 実習でホームレスの人達と交わり想像していたのとは違い良い印象を受けました。

 キリスト様の周りにはこの様な人達が大勢あつまってきていて、キリスト様もこの様な人達を愛され、その結果、十字架に掛けられてしまわれました。


瀬戸教会 バルトロア 小林沙恵
 数日前からお天気を気にしている私を、息子達は花火か夏祭りにでも行くと思っていたようだ。炊き出し実習に行くことを伝えた。カトリック校へ在籍している二人は宗教の時間に時あるごとに話は聞いていたようだが、実際に身近でボランティアをしている友人や知人はいないので、どんなお手伝いをするのか興味を持って細かく聞いてきた。

 未経験なので帰宅後報告することを約束した。「一緒に行って手伝うことは出来ないけれど、夕ご飯は二人で食べているから行ってきて」との返答だった。

 5時半集合の福信館で、キリスト教と炊き出しとの関係の講義を聞いて、車に乗り込み3台で出発した。高架下の広場には大勢の人達が既に並んで待っていてくださった。

 白いご飯と一切れの鶏肉と昆布の佃煮とお漬物が入っだパック弁当、そしてデザートには冷やしてあるワラビ餅3切れと、冷たいお茶が支給される。冷えたデザート付きとは心のこもったご馳走である。

 しかし、満足な食事を取れていない人にはきっと一瞬で食べ終えてしまいそうな量だ。

 お箸→お弁当→ワラビ餅→お茶の順番で受け取るシステムになっている。私達はお一人ずつに声掛けをしながら一つ一つ手渡しをする。10人毎並んで、「こんばんは」「ありがとうございます」挨拶をして受け取って次に流れていく。大きな声で挨拶をされる方、冗談を言って和ませて下さる方、目を合わせないように受け取られる方。おかずの鶏肉の大きな方に交換して欲しいと言われる方々様々な人が私の目の前を通り過ぎられた。しっかりと頭を下げ、丁寧に「いつもありがとうございます」と言って下さる方も少なくなかった。その度になんだか涙が出そうになった。このお弁当を待っていて下さったのだと改めて思った。

 受け取ったその場でお箸を割り、立ったままで食べ始める人も何人かいらした。

お腹がすいていたのに、ルールを守りお行儀よく順番を待っていて下さったのだろう。

 受け取って持って帰る方、仲間と座って歓談しながら食事をされる方、一人でかき込んで食べられる方、だれにとっても食事時間は至福なひとときである。

 小さくて背中の曲がった、随分高齢のお爺さんがいらした。受け取ってすぐに食べ始め、そしてすぐに空っぽになりごみ袋に捨てられた。今し方、私からお弁当を受け取った若い人が、そのお爺さんに自分のお弁当を渡した。お爺さんは深々と頭を下げて何回もお礼を言っている様子だった。お爺さんは持っていた袋に大事そうにしまい、そして二人は別々の方向へ歩いて行った。何だったのだろうか。若い方の人はお腹が空いていなかったのか。自分もお弁当を貰うつもりで並んでいたはずなのに自分のお腹は大丈夫なのだろうか。ホームレスの人ではないけど、このお爺さんの為に並んだのか。どういうことだったのか・・。

 ホームレスの人達の大半は、想像以上に社会的ルールが身についていると感じた。

 コンビニの入り口の邪魔なところに座り込んで大げさに笑い、大きな声でおしゃべりをしながら買い食いをしている若者よりウンとお行儀がよいと思う。

 何らかの事情で家々家族を失い路上生活となったのだろう。以前は家々家族もあったに違いない。家族の人達も安否を心配し、寂しい思いをしている人も多いだろう。

 みんなそれぞれ置かれた環境の下で、一生懸命生きている事を感じる。底知れぬ心配や不安や悲しさはそれぞれ持っているはずである。

 煩わしさやしがらみを嫌っている私は、ホームレスの自由さに憧れを若いころから持っている。でも、白由の裏側には今の生活の保障はない。最低限の保障を捨てきれずに、しがらみの中生きているのだ、と不平不満混じりに言ってきた時期もある。

 わたしの自由への憧れは消えないだろうが、今のポジションで精一杯日々の生活を大切に過ごす努力をしよう!と思いながらお弁当を渡し息子二人に報告する事を考えていた。


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