講師 池住 圭
95.11.11


 82年にフィリピンに夫が大学院に勉強しに行ったもんですから、くっついて行ったんですね。大学院で2年間彼が勉強している間、私は何もすることがないとつまらないので、何か無いかなと探していたら、あの、合同教会の教団があるんですよ。合同教会の中にHEADQUARTERSという本部があって、そこの1つのグループに人権委員会というのがあったんですね。人権委員会と言うのは国内で主に人権侵害を受けた人たちの救済活動をするというのが一つの目的だったんです。で、私はそこの人権委員会または合同教会に雇われた初めての外国人だったものですから、外国と、特に日本とフィリピン、アジアと日本の関係という点で何か仕事しろという風に言われたんですね。で、初めはもう何もわかんないもんですから、とにかくいろんな資料読んだり新聞読んだり現地で事務所に行っては資料あさりをしてたんですね。そのうちにだんだんこう、日本の企業が見えかくれしてきたんですね。
 どういう風に見えかくれするかというと、どっかで人権侵害が、つまりどっかの村が強制立ち退きされたとか、どっかで汚職がおこったとか、どっかで例えば労働組合の結成が行われていて結成されると潰されて行くんですね。潰されていく時にやっぱり人が殺されているんですね。で、私も活動して行きながらいろんな弁護士さんとか組合のリーダーとか委員長とかいう方と親しくお付き合いするようになっていましたけど、もう十本の指に余る人たちが虐殺されたり、突然居なくなって1月後にどっかの山の中で埋められていたのが見つかったりとか、殺されて遺品だけがお家に届いて、もうあなたの夫はいないとかいう手紙がきたりとか、それから活動している人の家にYOUR DAYS ARE NUMBERED というんですけどね、あなたの残された日々は数えられているという風に。日本語で言いますとね、つまり限られた命しかないぞ、という脅迫文が届いたりしてるんですね。そういうのって、当然人権委員会ですから訴えがきたり、それから教会の中に同じ自分のメンバーたちが来て、自分の夫がやられたとか、自分の仲間がやられたとか、子供がやられたとか、何とかしてくれといって来るわけですね。その度に、事実確認委員会(FACTファミニッション?)を作りまして、その現地に飛んで来てんですね、事実調査をする。そうするとやっぱりどこかで日本の国が絡んでるんですね。それが大きな本当に大きなおっきな企業、日本でいうと商社ですよね、それにまつわる人権侵害ってずーとあったですね。それでもあんまりなので、調査して調査していろんな資料集めて日本に持ち帰って今度のお話してるんですけど、その人権侵害を行う、つまり企業が進出していってその土地を奪ったり、人達を奪う背景を調べていったんですね。で、調べてみた背景が今日お話する戦後賠償?です。
 ちょっとここにレジメを今日作ってきたんですが、実は昨日ほんとうに久しぶりに、竹谷神父さまに叱られるかも知れませんが聖書を開きましてね、イザヤ書のここの部分をちょっと読んでいたんですね。それでとっても素敵だと思ったのは、本当に破れを繕うっていうことがどんなことなのか、私達毎日毎日生きていますからそれほど聖書の御言葉とか聖書に照らしてなんて考えてはいませんけどね、ふっと私いろんな活動をして来ながら毎日忙しくしながら、この言葉にちょっと立ち止まる機会を与えられたなって思って、昨日は本当に感謝しながらその部分を読んでいたんですが、こんな敬虔な気持ちになったの久しぶりだなと思いながら、あのー、竹谷神父さまに感謝しながら読んでいたんですけど、今日はどういう風に繕っていくのか、今自分たちがこの世の中、紙も十分あるし食べ物も十分あるところで生きて行きながら、片や、どっかで破けた関係をつくってしまったですね。それをどういう風に繕っていくのかということを、少し戦後の日本の処理から今の経済の結びつくところをつなげて考えることによって、もう一回思い起こせたらいいなという風に考えています。
 で、ちょっとあのー、新聞、みなさんも本当に賑わしているからよーくご存知だと思うんですけど、一つ関係の破れっていうとこでいくとね、この社説を皆さんに今日お配りしたいんですけれど、これは9日木曜日の昨日の社説なんですけれど、総務庁長官が、まあ、日本で日本が韓国を占領している時代に後藤さんという人が、多少はいいことやったんだとか、オフレコとかなんとかごまかしてましたけど、言ったんですね。で、この人だけの問題じゃなくて今までもいろんな人がいろんなこと言い続けて、これで辞めさせられたりしているけど、まだこんな発言する人がいる。韓国の人だけではないんですけど、この場合でいうと韓国の人たちがどんだけ痛んでいるか、どんだけ怒っているか、どんだけ辛いかっていうことを、ちっとも分かんないからこんなこと平気で言えちゃうんですね。で、あの外務大臣が実は謝罪に行きましょうと言ってたんだけど、韓国はもっと怒ってて来なくていいって今日の新聞に出てましたよね。つまり謝りに来たいと言ってる人でもそんなことでは問題解決しないということで、来てもらっても困るという位の強い勢いで韓国の人たち言ってる訳ですよね。そういう痛みっていうのがちっとも分かんないから、あちこちで破っちゃうという、ひとつのほんとに象徴的な表れだと思うんですね。これはあの戦前戦中戦後をどれだけ私達がアジアの人たちにひどいことをしてきたか、それについてみんな目をつぶって来てしまって、政府自体正式謝罪しませんよね。あの、カトリックはしたんですか。公に、教団はしてますよね。ルーテルなんかもしてますよね。(「今年ね、あの、カトリックも‥‥」)あのー、残念ながら聖公会はまだ、今しましょうしましょうと言っているんですけど、あのちょっと難しくって、戦争に行った方達を責めることになるような形だとまずいなというので、今躊躇しているところなんですが、その話はまたあとで触れるとします。
 が、レジメの方を見て頂いて、はじめにっていうふに「国際化の中で生きる」、国際化に?マークがついてますけど、ま、国際化って何だろなと、ちょっと考えながら、いま日本がどういう風に経済的に成り立っているかというと貿易立国ですよね。貿易をしていないと何も無い。資源も無いし食糧でさえもないですよね。で、どんなものが輸入されているかというと、もう当然、鉄鉱石・ニッケル・アルミ・天然ゴム・木材、もう沢山のものが来てますよね。で、それだけでは食べられないので、それを今度日本の技術を使っていろいろな電化製品とか車とかオートバイとか、ま、そんな物にしながら経済活動をしている訳ですよね。あの、フィリピンなんかに行きますとね、面白いんですよ。「今日はホンダで行こうよ」っていうのね。何だと思うとホンダというのはもう一般名詞になっていて、乗り物、公の乗り物なんですけど1キロくらいの半径をホンダだけでなくスズキもありますけど、ヤマハもあるんですけど、みんなホンダっていうんですね。それに補助席みたいのをくっつけてそこにお客さんを乗っけて、まあ1キロ走ったら2ペソとか3ペソとか10円、20円、15円位のものを払って行くんですね。ですからあまり重いものをもった人たちはのっけられないんですけど、ま、そういう乗り物をトライシクルといっている。シクロってベトナムなんかでそういう乗り物がある、それをみんなホンダで行こうって言っている。今日はジープでなく、ホンダで行こうとか、お金が高いからタクシーやめてホンダで行こう。するとトライシクルで行こうという意味になっている位なんです。それから、タイガー持って行こうと言うのね、例えば隣の部屋で会議するからタイガー持って行こうという。虎持って行ってどうするんだ。(笑)それはポットなんです。お湯入れて温っためてタイガーポットを持って行くのをタイガー持っていくという。その位あの、なんだろうな日本製品が日常に入り込んでいるんです。それからあの、味の素もすごく発達してるというか広く行き渡っていて、「味の素入れたっ?」ていうんですね。その味の素というのはタケダのいの一番で、本当のいの一番でも味の素でもいいし、そういう何か化学調味料のこと、みんな味の素と言います。その位日本製品が行き渡っているぐらい、市場として必要なんですね。ほんとに電気製品から自動車・オートバイ・時計・カメラ・薬もそうですね。
 一時、キノホルムというお腹の薬なんですけど、日本で副作用が強いからやめた薬があるんですね、それがまだまだ行き渡っていて在庫が余ってしまうため、早く、規制されていない東南アジアで売ってしまおうという薬害も随分あった。今ちょっと話が違うのですが、あの、エイズが、訴訟を起こしてますけど、アメリカでも当然熱処理しなきゃダメといわれてから3年ぐらい、合計すると5年ぐらい経ってやっと規制された。厚生省がまだ時間が掛かってますけど、その間に血液製剤でエイズにかかった人が出てきてるんですけど、同じ構造かなって思った。ほんとかどうか調べてないんですけど、つまりアジアで日本で自分達の都合の悪いものを売ってしまう、そして、だから、私達はアメリカにやられていること、自分がやられたらすごく腹が立つんだけど、もうアジアでは平気。例えばタバコのコマーシャルはね、最近日本でも規制されているのかな、テレビでコマーシャルしていけないとアメリカでなってる訳ですよ。だけど日本に来るとマールボロー・カントリーかなんかという格好いい黒人が出てきて平気でコマーシャルやってるでしょ。つまり、日本人の肺は侵されてもアメリカ人の肺は侵されては困る、でもアメリカのタバコ産業は潰れたら困るから、じゃ日本人に売ってしまおう、日本人は肺癌になれ、私達はいやだよ、だけどタバコ売って儲けるよ、っていう構図ある訳でしょ。それと同じことがアジアの国で行われている。その痛みはね、例えばマールボロー、何だ!血液製剤な、何だ!って腹が立つけど、全く同じことがもっと酷い、基準が少ないところ、アジアの国でやっているんですよね。
 あとでビデオ見ますし、もう少し説明しますけども、その企業が進出していくそのきっかけになったのが実は戦後の賠償なんです。で、それが政府開発援助っていう形にすり替えられて政府開発援助として企業進出するためのインフラというか、道路とか、港湾とか、発電所とか、土地の整備とか、そんなことに使われているんですけど、あのー、開発援助が89年に世界第一位になって91年に100億ドルに達した、これ全部税金、我々の血税なんですよね。これがどういう風に使われているのか、そして戦後賠償からどういう風に移行されていったのか紹介したいと思うんですけど、今すごーいアジアと日本の関係が綿密につながってて、銀行、日本の銀行が300以上、東京銀行から始まって、あの東海銀行っていうのは見たこと無いんですけど、あまり‥‥。東京銀行とか三菱とか、ま、あとはアジア開発銀行とかいろいろありますけど、300以上の日本の為替銀行が進出して行って、そしてそれに伴って当然日本人も行っていますね、駐在員として。それから、日本人としても商社マンが家族と共に行っていて、だから物凄い人が一緒に行ってる。それから、あの、アジアに渡航した日本人が520万人以上です。これは行って帰って来た人、長期滞在は入っていません。それから、正規ってわざわざ書いたのはいろんな事情で法的に許されないで滞在している人もいますから、その人達を入れないで216万以上、ま、例えば学生であるとか研究員であるとか、最近企業がちょっと不況になってきたりして外国人の雇用が物凄く厳しくなったんですね。
 それでトレーニングという形で半年単位でビザを与えて、で、トレーニングとは名ばかりで本当に一番下の方の仕事させるようなことしていますけど。そういう形で入ってくる人達が216万人で、日本で長期滞在している人が90万以上で、この超過滞在者というのは正式な許可をもらっていなくても滞在している人が、これは100万人というのは推定です。130万とか150万ともいわれています。掴んでいないんですね。あのつまり、どういう風に数えているかというと、出入国管理局で入って来た人の数と出て行った人の数をただ合わせるだけなんです。それで帰ってない人がこんだけいる。例えば、みんな捕まえちゃおうかというと150万人も捕まえても収容するところがない。一時、大村の収容所とかあちこちありましたけど、今そんなことも出来ないので放っている状態で、竹谷神父さまも随分沢山の人知ってらっしゃると思うんですが、ただあの方達は本当に大変な生活してましてね。
 この前も9月に、名古屋市にいるイゴロットというフィリピン人の北ルソンの民族がいるんですが、その方達だけに集まってもらったんです。そしたらら20人近く来たんです。で、その時カトリックじゃない聖公会の神父さんが一緒にいたんですね。たまたま名古屋にきてたから。そしたらその神父さん見て、ほんとに泣くんですね。私達神父さん折角いらっしゃるからお祈りをして、私達つながりがもっと深まるように、この方達の滞在がもっと有意義になるように、そして生活もきちっと出来て自由になるようにお祈りししたら、本当に泣くんですよね。どうしてかっていったら、大体カトリックの信者なんです。あとは聖公会の信者なんですね。フィリピンはキリスト教徒ですからほとんどカトリックといっていいですから、その方達が教会にさえ行けない、どうして行けないかというと、もしかしたら自分が不法滞在していることで告発されるんじゃないかということで、職場とお家を行ったり来たりしかしない。つまり教会がいくらいらっしゃいと手を出しても、こんな活動がありますといっても来られない、来たくても来られない、お祈りしたくてもお祈りもできない、礼賛を受けたくても受けられないという人たちが、いっぱい、いっぱいいるんです。で、その痛みを私達名古屋に住んでいながらどれだけの人数知ってますかって、私は本当に自分で辛かった。自分を責めてほんとに十何年か名古屋に住んでますけど、こんなに辛い、つまり神様って言いたくても言えない、声上げたくてもじーっと押し殺していなければ自分の生活が成り立たない人たちがいると。その人達は好き好んで日本にいる訳じゃなくて、もう8年9年いる人もいるんですけど日本に住んでお金を殆ど送っています。だから当然結婚もできないし、結婚しても子供が生まれてしまうと無国籍になってしまう、そうすると帰ると自分の家族を養えないから帰れない、だから子供は作れない、そういう状態の中でじーっとひっそりひっそり、いわゆる不法滞在っていう、超過滞在者というレッテルのもとで暮らしている人がいっぱい居るんですね。
 で、そういう人たちを生み出しているのは、やっぱり、あ、私達の責任ではないかと思うんです。その人にアジアが日本を必要としているんじゃなくて、日本がアジアを必要としているんだよというんです。よく100億ドルの援助してるんだから、いいことしてるんだから、こっちで大変な被害があれば古着を送り、こっちで学校が要るといえばノートを送り、そのノートなんかも実はフィリピンの子供に送られてくるものの整理なんかもするんですけど、びりっと破ってあって、ちょっとだけ残っている物とか、鉛筆やペンで何か書いたりして、あとは使い古しでもうこれ以上日本では使わないってものを平気で送ってくるんですね。それからボタンの取れたものとか、福信館に来るのもそうだけど、あたかもゴミみたいに、余っているからあげようかじゃなくて、やろうっていう高いところから低いところにやろうっていう気持ちであげる人もいる。だから私は、あなたが2枚持っていて1枚無くても生きて行けるから、じゃ1枚上げるっていうものだけ頂戴って言うんです。それも、きちんとアイロンかけて、そしてすぐ着られる状態にして頂戴、それでなければいらないって、フィリピンはゴミ箱じゃないって、いつも怒って、名古屋学生センターで・・・・(?)するんですけど、実は私が来てからキツイネって言われるんですけど、あまりひどいのは返すんです。「済みません。これ結構です」ゴミ箱と間違えてる人もいますからね、たまには。それでアジアの国にはそういう風な形で日本がやってる現状ってあるんですけど、それでも、でも助けてあげてる、助けてやってるっていう、この形の意識があるんだけど、本当はアジア諸国がなくなってしまったら、私達の生活が成り立たないんですよ。
 それでアジアが日本を必要としているんじゃなくて、私達が原材料の供給国であり、それを使って作った製品の輸出つまり市場であり、食糧を作ってくれる土地であるために必要なんです。例えばそこにね、とうもろこし・大豆・魚介・野菜・小麦・砂糖全部、アジア・南米・アフリカから来てますよね。これ無くなったら、日本の自給率って凄く低いでしょ、卵自給してますって皆さん言いますけど、卵の飼料なんかみんな輸入してますからね。だから自給してるものなんかほんとに無いですよ。鶏ブロイラーがいっぱい、安いですね、あれは自給してますは、とんでもない話で、鶏達が食べてる飼料何処からきますかていうと、やはり日本ではないですよね。だから自給してるものなんて本当に少ない、数えるほどしかないんですけど、それがぱたって止まったら我々は飢えますよ、本当に飢えますよ。電気だって使えなくなるから凍え死んでしまうかもしれない。野宿しながら死ぬ人いますけど同じ状態ですよね。そういう状態の中でヌクヌクと生きているという裏にアジアに人たちがいるという、そのアジアと日本の今の、つまり日本にすごーく都合のいい関係を作り出していったのが戦後処理として支払われた賠償です。
 それが2番目にありますけど、アジア侵略というと、例えば南京大虐殺とか、謂れのない処刑とか、科学戦・化学戦・細菌戦・生体実験、あの「悪魔の飽食」って本読むと本当に生体実験のことが凄くくわしく出て来るんですけど、ありますよね。それから強制労働、慰安婦、ありとあらゆる、オウムじゃないけど、ほとんどの犯罪が何でもありっていう感じでやってきましたよね。そのことについて今日はちょっと触れる暇もないし、しようとは思わないんですけど、そういう反人道的な犯罪行為をしておきながらですね、2000万人以上これは全部亡くなった人、これ一般の人です。日本が攻めて行って略奪したりとか、強姦したりとか、面倒臭いから殺しちゃったりとか、その村に駐在するために村全部全滅させちゃったりとか、いろんな人たちが犠牲になってますけど、その方達です。それから、43万というのは軍人・軍属として狩り出された植民地出身の韓国・台湾の人たちとかが多いですね。それから、80万人、奴隷狩、人間狩りに等しい形で内地に連れてこられて、炭坑なんかで強制労働させられたりしていった朝鮮の人達、これは今の在日韓国・朝鮮の方達の問題にもつながっているんですよね。それから、20万人というのは女性達だけ、ほとんど未婚の女性を連れてきて、女子挺身隊としていろんなこと、この内の8万人以上です。これも8万人というのは本当に推定なんですね。8万人以上が軍隊慰安婦として徴用されていたんですね。で、ただ日本政府は、あれは徴用強制ではなくて、政府がやったことではなくて、民間の人がきちんとリクルートして連れて来た人達ですって、公では言っていますがとんでもない話ですよね。これだけの人数の人たちが日本人のため?いろんな形で犠牲になって、今慰安婦の方達が裁判をしていて、だけど声あげられない人もいっぱいいますね。それから、もう亡くなっていってしまった人たちがいますね。
 この前、ソウシングさんという方を名古屋にお呼びしてお話伺ったんですけど、彼女はやっぱり15歳の時、結婚しろとお家で言われて、とてもその結婚自体の意味もわかんなくて、婚家から結婚式の日に逃げ帰ってきた。だけど何もすることがなくてお母さんも働けと言うし、働き場所もないのでどうしようかと思っていたら、いい仕事があるからおいでと言われて中国に連れて行かれて、そこで慰安婦にさせられていった。で、あの??日本の軍人がその方を、ソウさんを好きになって、日本に一緒に連れてきたところ、突然外国人連れてきて受け入れられるわけないですね。自分の家族とかいるわけですから、日本で捨てられちゃって、それでもう、はじめの頃は酷い生活をしながら、韓国の方と出会って、その方と一緒になって、戦後50年日本で生きてこられた。ずーっとその重みを負いながら??。今、訴訟を起こしています。その方の壮絶な生き方をみると、それだけでも戦争はしてはいけないって思うくらい、一人の人権をそういう形で踏みにじった、そういう形の人たくさん沢山いるんです。
 ここにある2000万、43万、80万、20万というのは江口圭一さんていう方が「15年戦争」っていう本を書かれている方なんですが、その資料から拝借してきました。日本で戦争が終わりまして賠償が起こってくる訳ですね。その賠償の中で、本当の実態というのが面白い。資料を実はコピーして差し上げてますので読んでみたいと思いますが、あの戦争裁判・東京裁判といわれて、戦争裁判なんかではほとんど欧米に対する戦争責任で、侵略して行った、最もひどい侵略を行ったアジアの国々に対する謝罪なんかは全く無かった。それにともなって、戦争で亡くなった人もそうですし、亡くなって家族を持っていた遺族の方もそうですし、そんな方に対する謝罪ってものは一切無かったんですね。
 そしてあの、一つしたのが45年から始まったビルマ・インドネシア・旧ベトナム(南ベトナム)に対する10億ドル、カンボジアの??に対して準賠償という形で5億ドルしてったんですね。1つ1つの賠償協定見ていくと時間ないですし、分厚い本になりますので今日はフィリピンのことを少し深く考えてみたいと思いますけど、日比賠償協定というのが締結されたんですけど、これが第1条だけしか私持って来ませんでしたが
 「日本国は現在において1980億円に換算される5億8千万米ドルに等しい円の価値を有する、日本人のつまりお金じゃなくて、いき?および資本財たる生産物を以下に定める期間内に労働とこうほうにより賠償としてフィリピン共和国に供与するものとする」
 これだけ読みますとどうゆう風に思われますか。えっ?と思いますか、それともいいねと思います?、5億5千万米ドルをどうしようというんですか。労働と生産物つまり、生産物というのは何処の生産物です。(「日本の!」)ね、だからそこで儲けるのは誰です。企業でしょ。つまりごめんなさい、ほんとに申し訳ないことしました。侵略しました。あなたの土地奪いました。あなたの民族虐殺しました。ごめんなさい。あやまってもあやまっても謝りきれないけど、今とりあえずお金でしか賠償できないので受け取って下さい、っていうならわかりますよ。違うんです。生産物で受け取れって条件付けたんです。今のODA政府開発援助の紐付きと全く同じ構造です。つまり、日本で生産した物をあげましょう、日本の経済起こすためのものなんです。
 そこで、日本の賠償協定を結んだ政府と財閥と、つまり企業との結びつきですわね。その時に、じゃあ何処の製品にするか誰が決めるんです?日立にしましょうか、三菱にしましょうか、ホンダにしましょうか、日産にしましょうか、その時、どういうコネが要りますか、癒着ですよね。その温床ともなっている。で、次の「吉田茂回顧10年」というのがあるんですが、、これ抜粋なんですが凄く面白いの。わざわざここに載せたんですけど賠償支払によって、日本と相手国の経済関係の密接化を保障するものでなければ、賠償は無意味であり、たとえ経済侵略と言われてもそのような邪気を気にする必要はない。未開発の地域、工業原料の確保、市場開発は相互の利益に叶うものとして交渉を進めたとはっきり回顧録に書いてある。
 つまり賠償じゃあないんですよ。相手国との経済の密接化を今後、賠償という名の下でこれから日本が経済的に生き残って行くためには。今偉いと思うんですよ、吉田さんは。片や日本の経済がこれほど経済発展を遂げた裏側には、これだけの布石があったというか、賠償さえもそういうものに利用していこうというところで、一つは本当にあんたは偉いと言いたい位のものかもしれないけれど、アジアの人たちにとってはとんでもない話ですよね。勝手に人ん家に来てですよ、戦争して、フィリピンに来て、誰も戦争してくれなんて言ってないですよ。アメリカ本土ではやりましたか?、沖縄ではしたけど日本本土でやりましたか?、人ん家に来てぐちゃぐちゃにして、そして人も殺し土地も奪い、民族の尊厳をかけた戦いをして、フクバラ?などとゲリラ戦なんかもあったでしょ、それらを全部潰しておきながらですよ。今度は戦争に負けちゃってご免なさい賠償しましょう、でもこれから日本が経済発展するための布石にしましょうなんていう、そのような協定であった訳ですね。それからもう一つは、あの賠償協定を調印するときの全権委員、つまり物凄く力をもっていた人がいたんですけど、その中に高崎さんという人がいて、その方が国会答弁の中で、はっきりこう言っているんですよね。「賠償は負けて払う罰金や手切れ金ではなく、将来手を握るための結納金である。」つまり、賠償をあげることによって、これからいろいろな経済活動をしていきたい一つの礎にするのだということを平気で国会で言ってるんです。
 この2つだけ実は抜粋したんですが、これだけ見ても、どれだけ戦後賠償したからもう戦争は終わってるんだ、謝罪しろって日本政府にいろんな人たちが、グループ・教会も含めて要求してますよね。だけどあの時のも賠償責任を果たしているんだから終わってるんだ、と平気で答弁してますね。だけどこれを見る限り終わっていると思えない。つまり、まだ終わっていないという現実をあとでビデオ見ますけど、あるんです。日比賠償協定だけに限って、ほかのビルマにしても賠償協定を見てると、いろんな問題が出て来るんですが、フィリピンのほとんど賠償協定の問題に限って、ここに私は問題点を上げてきたんですけど、まず日本がフィリピンに対して行った加害行為について事実の究明ももたず、日本政府も謝罪を公にしてません。ただ協定結んで生産物を供与しましょうという協定結んだだけなんですね。それから賠償交渉における日本側の課題は、どうやって額を抑えるかにまず終始しました。そして、その次にどうやって経済進出の基盤にするか、つまりどうやったら経済進出できるかなあ、というところで、じゃあ生産物でもって賠償を買いましょうという、それが一つの手段になったんですね。
 それからこれはまあ、アメリカとの政治的駆け引きなんですが、アジア戦略の一環として日本を経済的に自立させておいて、今沖縄で大きな基地問題が起こってますけど、あの基地を、まずあって太平洋の要として日本をもう一つの戦略基地として置いておきたいと、そのためには経済的自立をさせなければならない。それには日本の経済的負担を減らして、早く協定が締結して、日本もそこで工業生産が出来るように、早く経済活動が活発になるようにという圧力があったんですね。そしてもう一つはフィリピン側に戻って考えてみますと、どうしてフィリピン側に益にならない賠償をしてしまったのかということになると、一つは資源の提供国として経済侵略を容認しますよね。当然誰が見ても。そして結果的にフィリピンの地場産業を潰していくとか、それからフィリピンが戦争で痛めつけられたけれど、日本のように経済発展していきたいという風に思っていても、あの賠償協定によって、経済が日本で、日本の力によって牛耳られていることが非常に見え見えだった訳ですよね。だけれども要らないよという程の経済力なかったですよね。で、承認してしまったという想いがあると思うんですけど。で、これが戦後の戦略として紐付き援助であり、利権目当てであり、戦略援助として供与された中で、日本の企業が進出していく足がかりになってった訳ですよね。
 この戦後賠償の時にいろんな、こう動いた人たちっていうのは、みんな戦争の中で力をもっていた人たちがそのまんま息を吹きかえして、戦犯って言われたりしながら生き残っていった人達なんですよね。その人たちが今度はどういう力を日本で持ってきたか、名前を挙げていいか知りませんけど、児玉さんとか岸さんにしてもいろんな力をもっていた訳でしょう。そういう人が関わっている訳ですよね。
 そしてそういう賠償に伴う政府と、日本政府とフィリピン政府と、それから企業の利権を巡ってその中で特に、フィリピンはすごい汚職の国です。そうゆう汚職腐敗の温床が形成されていった背景もあるんです。今、マルコスさんが日本からODAを如何に引き出すかというところで、どれだけの日本政府と企業が動いたか、だからマルコスは屈指の財閥になって、今だってスイスや香港などに土地はあるしお金をいっぱい持ってるでしょ。マルコス一族なんか世界を股に掛けて、自分達は仕事しませんよね。あのお金がどこから出てきたかというと、やっぱりODAがらみの袖の下だったりする訳ですよね。
 で、それが何だ、どういう形なのかというと、例えばあの外貨による賠償じゃない訳ですよね、だから、フィリピンが物で援助してもらいたいと言ってきた時に、じゃあ、日本政府がフィリピンに5億ドル融資しましょうって決定しますわね。そして5億ドルをハイってあげます。じゃあ、この5億ドルを好きに使って地場産業起こすなり、つまり自分の銀行に預金しておいて、その預金を普通の方に貸し出してそれで自分で小さな産業起こせるようなものにしていきなさいと使わせるんだったらいいですよ。もし利息が必要ならそこから利息を少し据置き、期間つけて払えっていうのなら分かりますよ。だけどそうじゃなくて、このお金で車作りますっていいますよね。じゃあ、車作りなさいよどうぞ、だけど日本の技術買いなさいよ、日本から工場造るためのそのテナント買いなさいよって、紐付ける訳ですよ。じゃあ、日本のプラントを何処から、つまり、何処の商社を通して買うか、丸紅なんですか、伊藤忠なんですか、いっぱい商社ありますよね、丸紅ですか、伊藤忠ですか、三井ですか、その落札をする企業が何をする、うちにしてくださいよ、マルコスさんにしてみれば、丸紅コスといわれるほど袖の下使うんです。商品社会の場合ね、例えば車5万台欲しいです、そのために5万台分のお金下さいっていうんです。いいよ、5万台分のお金これでありますよね。だったら好きなところから、今ヒョンデ(現代)とか、韓国で安い車ありますよね。それを買いなさいって言うんじゃなくて、ホンダから買いなさいよ、三菱から買いなさいよ、って言う訳ですよ。三菱買って貰いたい、トヨタ買って貰いたいじゃ、買って貰うと言う保障を得る為にどうしますか、机の下でお金動くんです。そう言う温床になっている。温床の基礎造ったんです。それから、例えば、ここに企業が進出します。銅の精錬所がつくりたいんですと言いますね。そうすると、銅の精錬所造る為には、田舎にぽんと精錬所なんか出来ても産業道路がなくちゃ困りますよね。日本の資材運ぶのに港がなくちゃ困ります。電気を使う、電力発電所がなくちゃ困ります。それじゃその部分は日本の開発援助にまかせましょう、と言うんです。道路も160?そういうのを造っておいてまた、で、インフラの部分を開発援助でしておきながら、そこに企業を誘致する。そこの開発援助の資金を使って道路造ります、地熱発電所のプラント造ります、それから港湾造ります。じゃあ、その時の勝手に造んなさいというんじゃなくて、例えば人々がここからここまで行くのに道路があったらいいなと思っているので、この道路を造るのにお金下さい、はいどうぞ、っていうんじゃなくて、ここからここまで道路造りなさい、と決めちゃうんですね。村人がそこで漁業しながらお魚取って生きている。村人達は港なんて要らないですよ。だけど港造って貰わないと日本に造った生産物を運ぶ、原材料を運ぶ、それから日本から製品なんか持ってくるそのために港つくっちゃう。その港をODAでつくっちゃう。発電所もそうです。あとでビデオ出てきますが、発電所の隣に住んでいる普通のお家の人はこんな太い電線の下で、蝋燭の生活しているですね。煮炊きだって薪でやってるんですよ。それが88億の日本からの借款ですよ、上げたんじゃない借金ですよ、30年据置きで30年経ったらそこから利息も払って、そういう構造を全部作っていったのが戦後の賠償責任として締結された経済援助といわれるものの実態なんです。
 今はね、88年の時点で借款と贈与合わせて1兆2千億円のお金がばらまかれています。全部ほとんど紐付きです。贈与というのは殆ど少ないです。あのこれだけ紐が付いているの日本だけです。他の国はほとんど贈与です。それからもっと人を派遣して人々の声を聞いてこういうところに学校が欲しいとか、病院が欲しいというところでやっている。ところが日本はそうじゃなくて企業が先なんです。企業が行くためにどういう風な開発が必要かというとことで足場作りをしている、そのために使われるのがほとんどODAで、それからもう一つは日本の中で物を売るためにODAを使う。さっき言った車がその例、だから地場産業なんて殆ど育たない。私が82年とか83年にフィリピンに住んでいた頃は、まだまだココナツの石鹸とか椰子の実からできた洗剤とかあったんですよ。今なんか無いですよ。カメル、花王、フェザー石鹸とかそんなんばっかり。つまり全部地場産業が潰れていって大きい日本の企業がそこで造られる。
 ナタデココって今言ったら面白いよ。一時ね、私なんかナタデココ本当にはやっているの知らなくて、帰って来たらあっちこちでナタデココっていう言葉、突然空港降りたら飛び込んできたのね。ナタデココ何だって思ったの、食べたこともないのに。フィリピンで大好きだったんですよ。何だろなって思ったの。そしたら突然爆発的にスーパーでもナタデココ並ぶようになったでしょ。そうなってた頃にフィリピンで、しょっちゅう行きますから、そしたら日本有り難うって言うのね、ナタデココをいっぱい買ってくれて。農家のおばさんたちが本当にきったない所で作っていて、あの作るの見たら食べたくなくなる所で作っているんですね。すごく簡単に作れる、で、ありがとうっていうのね。これ、日本に輸出するっていうので、私、だからここ拡張したのよとか。で、ちょっと出遅れた人は借金した訳、3000ペソとか、庭潰してナタデココ工場造ったから、だから絶対儲かるよって言って、よかったわねえとか何とか言って。で、同じ年にドールのナタデココ工場に行っちゃったんですよ。したらね、いつっもパイナップルを作っている工場に行って、はごろも缶詰もそこで作ってんですよね。ある時、ナタデココが凄くはやってる時におばさん達の声を聞いて、感謝されてね、私達はうれしいわっていってくれるので、やったあと思って。
 で同じ年にドールのパイナップル工場に行ったわね、そしたら偉いね、さすがアメリカの工場だと思った。全部日雇いで、工場の片隅にナタデココ工場作ったんです。ほんとにこの位の一角のところで。で、女の子達に聞いたら、日雇いなのね、いつ首切られるか、いつもアメリカはさすがだと思った。市場調査してナタデココなんてどうせ日本のチーズ、何だっけ、あったじゃないですか、一時突然売り始めたのあったじゃないですか。はじめチーズ蒸しパン、その次、ティラミス、その次ナタデココね。どんどん変わる、嗜好がね、その嗜好が変わる度に、つまり日本で食べればこっちが儲かる、でも止めたっていうと風邪引く、だからドールは偉い、いつ止めてもいいように、儲けられる時だけ一角だけ、だから工場なんか造りませんよ。勿論、ほんの一角、隅で余っているスペースで作り始めて、日雇いで女の子達で15,6歳雇って、もう今年行った時止めてましたけどね。それで、売れないから止めます、痛くも痒くもない、儲けるだけ儲けました。
 片や、日本の消費者、どっかのおばさんが作った訳分かんないブランドがついたのと同じで、みんな潰れてますよ。ミンダナオに行ってご覧なさいませ。今年行ったら、ブーブー言われました。あんたが食べないから潰れちゃった、借金どうしてくれるの。そういう関係なんですね、ナタデココだけでもそうなんです、ほとんど、だから日本から行ってる製品がそうなんです。アジノモトが日本で売れなくなりましたよね。フィリピン凄いですよ。味の素を電気で照らしてバアッとついた木のイルミネーションがあったりとか、アジノモトのパック・瓶が2階ぐらいの建物の大きさに拡大されて各地に建つているんです。アジノモトね、で、どうしてあんな物を貧しいのに使うのかと思うでしょ、貧しいから使う。つまり、あんなもんなくても小魚でダシとってたんですよね。であんなもん無くてもおいしい味覚もってたんですよね。だけどアジノモト、一番ちっちゃいフィリピンの最低の25センタボス、今、1ペソ4円ですから1円くらいで、入ってきた当時は10円か8円で買える小袋を作った。それで魚1匹買わないで、アジノモトを買って、ご飯にかけた。お塩かけ、お湯をかけて食べるんです。それがとっても貧しい、お米しかない人の食生活なんです。かわいそうでしょ。それまでは何とかして川に行ってお魚とってた。25センタボスあったら魚買ってきて食べよう、スープつくって食べよう、多少のタンパク質ありますよね。それはね、日本の企業がよく調査してね。つまり大きい袋じゃ売れない、だから一番小さい単位で買える小袋つくって、だからどこへ行ってもありますよ。歩いてしか行けないようなところに行っても味の素とコカコーラありますよ。
 そういう形で地場産業をどんどん潰していく。一番、余談だけど、ショックだったのはね。レイテ島と言う本当に貧しいところだったのね、で聖餐式あったんだけど、ワイン買えないのね。でどうしてるかっていうと、私は牧師が友達だから、いつもエストリータ?、牧師たちが準備する部屋に入りこんで、ぐちゃぐちゃ話して手伝ったりしていたのよ。教会で働いている人たち、突然朝ね、10時から始まるんですけど、サービスがね、8時ごろみんな行くんです。教会の牧師夫人と牧師とそれからディーコンとかそういう方が、私と行ったんですけど、そしたらコーラをがらがらがらっと開け始めるんですよ。炭酸抜けるからまずくなるから、ちゃんと瓶蓋しろとか私が叫んでも、抜くって言うんです。炭酸抜くっていうの。何すんの?そこで牧師もニヤニヤ笑って、あんたはあっち行けと信徒が言うの。いざ晩餐受けてみたら気の抜けたコーラがぶどう酒の代わり。だったら私、水のほうがまだましだわ。何かのジュースの方がましだと思うんだけど、アメリカのコカコーラをそういう形で、信じられないでしょ。あなたは馬鹿ね、と牧師に言ってきましたけど、そういう形でずーと浸透しているの。本当に浸透してる。何でも浸透してる。日本の物にしてもアメリカの物にしても。
 さっきのホンダで行こうよの話ですけど、歯磨き粉頂戴っていうのをコルゲート頂戴っていう。コルゲートってブランド名でしょ。だから薬屋さんに行って、歯磨き粉頂戴っていうと、じゃ花王にしますかとかね、あの、コルゲートにしますかとかね言うでしょ。それがコルゲート頂戴っていうと花王にしますかとか何とかしますかってメーカー名聞かれるの。じゃ、花王を頂戴とか、コルゲート頂戴って言う。その位、コルゲートが人々の中に入っている。
 そういう状況の中で、それで、ちょっと話が外れてしまったけど、そういう形でODAが使われて、政府開発援助が今どういう形で戦後賠償からずーっと引きずってきた開発援助が、どういう形で使われて、どういう形で人々に影響及ぼしているかという例がビデオの中に2つあるんですが、マニラに行ったことのある人?アノ、ナボタスブツク漁港と書いてあるんですね。日本にもここからいっぱいお魚くるんですよね。で、そのここもやっぱり、もともとは何も無い所で、お魚取って生活、貝も取ってましてね。そこに、突然大きな漁港造ってしまって、そこで働いていた港湾労働者達が失業してくっていうことが大きな問題としてあって、スラム地区が形成していったところですね。レイテ工業団地を選らんだかっていうと、前に、ここで公害の話をしたんですよ。そのレイテ工業団地というところが実はもう一つ、パサールという銅精錬工場の公害と日本の関わりという、実はこれ、違うところのために作ったものですが、これが今ビデオ出てきますから、ざあーっと概略だけご説明いたしますと、まず、2番目見て下さい。
 日本のODA、これはさっき言った戦後賠償からずーっと続いてきて、今は政府開発援助として使われているものなんですけど、この銅の精錬工場ができるために、地熱発電所を造る、それから港湾を造る、道路を造る、188億、75億、65億、80億円という私達の税金を使って。皆さん11万5,6千円払ってるんじゃないですか、平均して。赤ちゃんからおじいちゃんまで平均して、その位の開発援助として税金が行ってるんですけど、どう使われているか、本当に人々のためになっているのか、ということを考えてみて下さい。この地熱発電所と港湾と道路が造られた、つまりこれがなければパサールという銅の精錬所は出来なかった、そのためにこれは日本の企業が進出するためのインフラの整備として日本のODA、つまり企業のお金じゃないですよ、企業が勝手に自分がここで製品造りたいから港造って、道路造ってやるんなら勝手ですよ。だけど私達のお金使いながらですよ、それも援助という名のもとで借金させておきながら、丸紅・住友・伊藤忠が16,9.664%支出しながら経済活動している訳ですよ。ここでは99.99%の純銅造ってます。あの、フィリピンも北ルソンとか、セブ島とか、いろんなところの銅の原材料を持って来て精錬するんですけどね、精錬をして70%は日本に純銅として輸入されています。それを使って工業製品を造っている、またそれをフィリピンに売っている訳ですよ。だから原材料はフィリピン、そこで造る技術は日本、出される公害はフィリピン、きれいになった99.9%の純銅は日本。それを買って経済活動を起こす、電気を造ったりして売りつけるのは日本。甘いところばっかり日本が吸っていますね。原材料を取られる、安い賃金で働かされる、土地は奪われる、公害は起こされる、お魚は取れても食べられなくなる、貧困は下へ下へと行くわけですよね。それがこの1つの例なんです。で、それにODAがこれだけのものに使われていることなんですね。
 で、ちょっとビデオを見るとね、このことがよく分かるので、ちょっと古いんですけど、堂本さんていう今参議院議員なんかしている彼女が、TBSのディレクターだった時代に、いろんな方と協力関係をもって作ったビデオなんですね。彼女は公害の問題から入っていったんですけど、やっぱりODAがおかしいというんでこのビデオ作ったんですね。で、今日実は、どうしてパサールを選んだという話しかけたんですけど、この前ここでお話したときには公害から見てたんです。今度はODAから日本の進出企業をちょっと見てみたいなという、ちょっと視点を変えたビデオを作りましたので、それを見て頂きましょう。
「キロクさん、今日お伝えする内容を」
「検証ODAの第1回はフィリピンレイテ島の無償援助プロジェクト、国立公開技術訓練所についてお送りしました。で、今回は有償援助つまり円借款、同じレイテ島なんですがそこに作られた3つのプロジェクトを検証します。これがコンゴダナ地熱発電所、レイテ工業団地、港湾開発プロジェクトのものです。レイテ島の円借款は全部で328億円にのぼっています。借款ですから差し上げたものじゃなく、利息はちゃんと日本に戻って来てます」
「世界トップなんでしょ」
「ええ話題になってますけど」
「??というのは何か」
「借款つまりお金を貸すという形が非常に多いということです」
「あの、1回目は無償のプロジェクトについてお伝えした訳でしよ。今回はどういう計画?」
「今回は円借款についてお送りしますけど、環境・人権そして累積債務の問題から送りたいと思います。今回同じレイテ島なんですがこの赤い線ですが、これ西レイテ島なんですけど、これとここに工業用団地の港があります。それからここに発電所かあるんですね。これが主な円借款のプロジェクトです。ここに日比合弁の銅精錬の会社があります。そういった問題を全部ご報告したいと思います」
「ハイ」
「レイテ島は九州のほぼ2倍、人口は160万人です。その半分は4000ペソ、2万4,5千円以下の年収しかない低所得層です。貧しさの原因の一つはこの島が丁度、台風の通過する道に当たっていることです。毎年のように大きな被害がでます。レイテ島は第二次大戦中の激戦地でした。島西部の中心部ボルモックで遺骨収集団の一行に出会いました」
「私の戦場でございますので多くの犠牲・・・何をいえません・・・」
「ま、日本軍はフィリピンに大変迷惑かけて、これで今後もここの人たち非常に貧しいから出来る限り援助してやってもらいたいと思うんですけど」
 終戦から半世紀、今どのような援助が進行しているのでしょうか。65億円の円借款をつぎ込んで島の西部、つまり西北部の道路180キロを整備する工事が進んでいます。6メートル幅の道を20メートルに広げるので、沿道の家も軒並み移転です。道を舗装しても住民のほとんどは自動車などは持っていません。誰の為にこんな立派な道をつくるのか、日本とフィリピンの合弁企業が進出したからこそこの道路も整備されたのではないか、と言う声も聞かれました。沿道の住民に
(テープA面おわり)
あのねちょっと、賠償責任とか余り時間がなくて詳しくは申し上げられなかったんだけど、ま、とにかく今の何だろうな、今の経済的活動にすべて絡んでるというのか、ちっとも賠償でないですね。賠償の在り方が今のODAの基礎になっている。ODAを通して日本が今、大儲けしている。それによって日本がそれだけ潤っているという。だからもっともっと地場産業が起きればいいんだけど、貧しさが下へ下へ、豊かさは上へ上へっていうようにいく構造になってしまって。借金地獄ですよね、何やっても借金です。その破れを繕うというところで我々は何をしていったらいいか、どうやって繕っていいか分かんないけど、初めは知ることが大事っていうのと、痛さ辛さとかをどうやって共有していくことが出来るかなと思って、課題なのかなという風に思いますけどね。如何でしょう。


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