中国人強制連行慰霊の旅(1) 

久保田実千江
 カトリック正義と平和委員会の皆さんが毎年夏に行っている、朝鮮人・中国人強制連行慰霊の旅。この慰霊の旅は、故相馬司教さまの「日常生活に埋もれる日々の中で、年に一回位は日本の戦争のために強制連行され、過酷な労働を強いられ犠牲となった朝鮮・中国の人々に思いを馳せるべきだ」とのお考えから始まり、今年で20回目を迎えたのだそうだ。
私は信者ではないが、この旅の案内役の金蓬洙(キムボンス)さんに誘われ、昨年に続いて参加させて頂いた。

 今回の目的地は岐阜県高山市。戦争末期、現在は観光客で賑わう旧市街に隣接する3箇所の小山の腹をブチ抜いて、地下軍需工場のためのトンネルが何本も掘られた。労働に従事させられたのは、当時日本の植民地であった朝鮮半島から強制徴用された朝鮮人と、侵略戦争の戦場・中国で捕虜にされた中国人だった。高山に連行された中国人は200名程で、工事が始まったのは45年の5月だったが、終戦までの3ヶ月ほどの間に、2名が栄養失調、1名が事故で亡くなってしまった。日本の敗戦となり、帰国の途に着いた生存者たちも、何ということか、船が機雷に触れて沈没、故郷の土を踏むこともかなわず、海の底に沈んでしまったのだという。どんなにか帰りたかったであろうか。胸が痛む。

 訪れた高山市宗猷寺(そうゆうじ)には、戦後地元のライオンズクラブガ建立した中国人犠牲者のための立派な慰霊碑がある。毎年法要も営まれている。高山でも由緒ある寺ということで、堂々たる建物が深い緑に囲まれてひっそりと佇んでいる。66年前にはこの寺の裏山で過酷な強制労働による、トンネル工事があわただしく行われていたことなど想像しがたい静けさだった。

 慰霊碑の前で、竹谷神父の先導で慰霊祭が執り行われた。

 私自身はカトリック信者ではないものの、このような慰霊祭を行っておられることにとても感銘を受け、共感を覚える。信仰という形ではなくても、人間として大切にしたいことは同じである。人が人に殺されないこと、人が人に奴隷労働をさせられないこと。これは人間として守るべき普遍的価値だと思うが、それが大々的に堂々と破られてしまうのが戦争だ。

 66年前に終わった戦争だが、それは過去のものではないと思う。私たち日本人が、とりわけ戦争を始め、長引かせた当時の国家上層部とその流れをくむ人々が、過去の過ちをきちんと認めて、被害者の方々に誠実なる謝罪と賠償をしていないからだ。そして、もう一つは、昨今、侵略戦争を美化する記述の教科書が各地で採用されたりして、軍国主義復活の兆しが不気味に強まっているからだ。米軍との軍事同盟もドンドン強化されているし、自衛隊の「軍隊」としての強化も進んでいる。私たちはもうすでに「新たな戦前」の時代の中で生きている気がする。

 慰霊祭では、総勢20名ほどの参加者が一人一人白い菊を犠牲者の霊前に捧げて祈り、再び賛美歌を歌い、再び悲劇を繰り返さないことを犠牲者の御霊に誓った。
今回、この慰霊祭に高山9条の会と飛騨9条の会の方が計3名参加してくださった。このような交流も意義深いことと思う。

 次に、中国人捕虜の宿舎となり、裏山のトンネル工事の発破の爆風で本堂が傷んでしまったという勝久寺を訪ね、いろいろな話を聞いた。その中で印象深かったのは金蓬洙さんの次のような話だった。「地下軍需工場の建設などは大変いいかげんなもので、軍部も成算はなく、請け負った建設会社もまじめにやる気などなかった。連行した人夫を働かせれば、軍が一人一日いくらでカネを出し、会社は大儲けして戦後、ゼネコンに成長した。」そのために、人々が強制連行されて犠牲となったと思うと腹立たしく悔しかった。 
 


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